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ベテラン農家特集 「ベテラン生産者紹介その①」


西湘バイパスの「石橋」を降りてすぐ。ここは「石橋地区」と呼ばれている、主に柑橘類の栽培が盛んな地域です。

 

東京方面から熱海、伊豆に向かう観光客が往来し、周辺には2019年にオープンした早川の漁港の駅TOTOCO小田原、一夜城跡やヒルトン小田原などの観光施設スポットからもほど近い場所です。

南には相模湾が広がり、北に目を向けると収穫の時期を待つみかんが色づいてきていることが分かります。しかし山へ近づくほど、「葛」とよばれる、繁殖力の強いつる性の植物がかつてみかん畑であったであろう場所を埋め尽くしていることがわかります。

葛に埋もれてしまった小田原のみかん畑
繁殖力の強い葛はみかん畑を覆い木を枯らす

「このあたりの山は昔、みんなみかん畑だったんだけれどね。」

 

そう言うのは農家暦40年のベテラン生産者、矢郷勝代さん。

ご主人の重臣さんとこの石橋地区で現在は青島・大津みかん、晩柑類8~9種、ブルーベリーを耕作しています。

【石橋地区というところ】

 

矢郷重臣さんは生まれも育ちも石橋、明治中旬からみかん農家であった矢郷家の家業を継ぎ、奥様の勝代さんは近隣の市出身で、8人兄弟の次女。ご両親は農業を営んではいませんでしたが、おじい様がみかんや養蚕(カイコ)の農家をしていました。

 

当時からおじい様は、「養蚕はこの先、先細っていくだろう」としてみかんの栽培に熱を入れていたと言います。そのご縁で、ご主人の重臣さんと出会うことになります。

 

 

 

勝代さんが矢郷家に嫁いだ頃は小田原のみかんは大変賑わっており、みかん小屋から石橋の山々を見上げれば見渡す限りみかんの木でした。みかんの収穫が忙しくなる10月~翌年の3月の間には新潟からみかん収穫のお手伝いに来ている(※当時、東北は冬になると雪によって仕事ができなくなる環境であった為、暖かい地方に出稼ぎに来ていた)人もいたと言います。

 

道は現在のようにアスファルトでの舗装がされておらず、山の上で収穫したみかんは車ではなく、モノレールと呼ばれる運搬機でみかん小屋まで移動するのが当たり前でした。

 

また、高度成長期とともに東京から熱海・伊豆方面への社員旅行・ハネムーンがブームになると、石橋地区と隣の米神地区では海岸沿いならではの暖かい気候を利用し、周辺の農家は観光客に向けて販売するために晩柑類の生産量が増えていきました

 

特に矢郷さんご夫婦が熱心に栽培していたのはネーブルで、ピーク時には耕作面積は1反5畝あったといいます。価格も1玉で100円と高額でした。

 

矢郷家では当時珍しかった国産のレモン栽培も既に行なっていましたが、清見、バレンシア、ゴールデンオレンジ、湘南ゴールド、カラ、セミノール、甘夏…などなど。どんどん多品種の栽培がすすみました。

 

ところがその後、みかんの価格暴落が起こります。みかん栽培だけでは賃金がなかなか払えなくなると、自然と東北方面から出稼ぎに来ていた人たちはいなくなり、近隣の畑も徐々に耕作がされなくなっていきました。

 

現在では近隣の農家でも世代交代がすすんでいますが、イノシシや海岸沿いの猿によるみかんの食害が深刻になっているため、食害の心配のないオリーブへの改植をすすめている若手農家も増えていることで、ますますみかん畑は減ってきていると言います。

 

また、お正月の飾りに使う千両の栽培も小田原産は葉が綺麗な緑色のため評判が良く、需要もあったため取り扱っていましたが、最近は気候のせいか良いものがとれなくなってきており、重臣さんとも今年で最後にしようかと話しているそうです。

みかん貯蔵庫の秘密

みかん貯蔵庫の様子
貯蔵庫の様子
いっぱいに保管しているみかん貯蔵庫の様子
※みかんが入っている写真は別の生産者の貯蔵の様子

「うちのみかんの貯蔵庫もピーク時は上から下まで箱いっぱいにみかんが入っていたのよ。見ていく?」と、小屋の中を見せて下さった勝代さん。保管量も年々減ってきて、7部屋のうち、現在は1部屋分も使いきらなくなったと言います。ひんやりと涼しい小屋は貯蔵庫と呼ばれ、中にはみかんを貯蔵する箱が天井近くまで棚に積み上げられるようになっています。

 


 小屋は土壁で除湿を促し、壁の一部は換気ができるように小窓がついています。

床にも換気用の窓がついていますが、小屋いっぱいにならなければ床の除湿をする必要がなく、出荷量の減少とともに数年前から使わなくなったといいます。

 

この部屋でねかせることで、みかんの酸味と糖のバランスを整えるとともに、傷み・腐りの原因となる高温多湿を防ぎ、3ヶ月近く保管できるなど、みかん農家の先人の知恵が詰まった造りになっています。

【二人三脚の農業】

石橋のみかん畑からは相模湾が一望できる
畑からは相模湾と小田原が一望できる

現在、矢郷さんご夫婦の畑は合計耕作面積が1町5反で、畑はあちこちに点在しています。

 

これは小田原の農地の特徴で、小規模な畑が点在しており、現在耕作している一番大きいみかん畑でも2反なのだそうです。

 

剪定をなるべくしないで良いように、お二人で鳥やイノシシの食害を防ぐために柵やネットをかけることに精を出しています。

時には勝代さんも枯れ枝の剪定をしなければとはさみを握ることがあります。しかし、「切り口はここではいけない」と重臣さんに言われてしまうことも。

 

そんな勝代さんは、お料理が得意。魚の干物は買わずにご自宅で作るそうで、海の近くの暮らしを感じます。

また、砂糖を少なめにしたブルーベリーのソースをドレッシングがわりに使って、毎日ブロッコリーやレタスのサラダにかけていただきます。

よくブルーベリーに含まれるアントシアニンは目にいいと聞きますが、そのせいか目はとても良いとのこと。重臣さんはブルーベリーを食べないそうで…

 

「私よく主人に言うのよ。私の目がいいのはブルーベリーを毎日食べてるからよ、あなたもブルーベリー食べなさいよって」

 

矢郷さんご夫婦にはこれまで他産地との交流や消費者との交流にも積極的に参加しています。どのようなことを感じるのでしょうか。

 

「収穫体験なんかはしょっちゅう受け入れているから思い出せないくらいね。でも、いろいろな人と出会えるというのはいいことね。他産地との生産者と交流すると女性でもばりばり農業をしていてすごいなあって思いますよ。野菜農家さんは本当に急がしそうで…うちはまだ果樹だから、一回植えたらあとは収穫じゃない?楽してるかなって思ったりするの」

と謙遜気味。優しいお人柄を感じました。

 

現在78歳の勝代さん、この日も朝からみかんの収穫に備えて倉庫の片づけを終えたばかりなのに「山まで近くだからちょっと歩いていく?」と元気いっぱい。

 

これからもお体にお気をつけて!