遠藤国雄(えんどう くにお)


一日一日を精一杯に生きる

自分で始めて、育ててきた作物は愛(いと)おしい。。。!


「お金儲けではなく、名前を売って偉くなるのではなく、一日でも長く生きられたものが人生の勝利者である」という言葉に感銘をうけて以来、自分のモットーは、「普通の生活の中で、家族と一緒に一日でも長く健康に生きる」ってことなんだ。

自分は農家の長男として生まれてきたら、農業を続けていくことは使命だと思ってる。一時はほかでも働いていたけど、親が苦労しているのを見て家に入ることにしたんだ。その当時はまだみかんも高値で売れていたからね。もともと久野地域は野菜畑が多かったけど、みかんの全盛期はみかん畑もずいぶん増えたよ。でもみかんのうまさは土地でほぼ決まるから、久野はみかんの栽培には最適ではなかったと思うよ。自分はみかんが衰退したときに、キウイそれから花壇用の花(パンジー・ベコニアなど)、野菜(菜花・玉ねぎ)そしてお茶に切り替えていったんだ。

 

有機キウイの栽培は久野の仲間と始めたんだ。当初の仲間は今の倍くらいいたんだけど。。。亡くなった人もいて減っちゃったね。有機キウイを作るには緩衝地帯を設けるので、ある程度大きい畑でないと作れないし、始めようと決めた時は検査があんなに厳しいとは思わなかったよ。だから最初はずいぶん苦労したな~。有機栽培を始めてから農薬は一切使わなくなったけど、その前は、10回くらい農薬をかけていたんだ。今になると「なんであんなにかけていたのかな~?」って思うよ。キウイは農薬を使わなくても育てられるとわかってきて、周りの農家の人たちも農薬を減らしたり、なしにしたりしてきたよ。ジョイファーム生産者が、この辺ではキウイの無農薬栽培の先駆者だね。

 

【* 緩衝地帯:隣接する畑からの農薬飛来を防止するために設けなければいけない場所】


キウイの産地もあちこちあるけど、小田原のキウイは貯蔵期間が一番長いんじゃないかな。追熟の技術は、どこにも負けないと誇りをもっている。この技術のお陰で、美味しいキウイが消費者に届けられるようになったよ。以前は2月から3月まで自然に追熟するのを待たなくてはいけなかったから、11月から販売するなんて考えなれなかった。

 

有機キウイは生産者が共同で出荷しているので、自分の作ったものの質が皆に関わってくる。皆でレベルを上げていかなければいけないし、足引っ張る人がいたらやめてもらう。ちょっときつい言い方かもしれないけど、そのくらいの覚悟がなくちゃできないよ。

 

よく「国雄さんはいつも忙しいですね~」っていわれるけど、これは性分だからしょうがないね。畑にしても縮小すればいいんだろうけど、今までやってきたことを捨てられないんだ。みかんは親の代からやってるけど、他のものは自分で開拓してきたものだから、そう簡単には手放せない。自分で始めて、育ててきたものはかわいいからね。

こんな風に続けていけるのも、女房が健康で一生懸命やってくれるからだね。女房がいなければ、今のこの俺はないな!だって俺より遅く寝て、俺よりも早く起きるんだから。作業はだいたい二人で分担していて、花などの細かい作業とキウイの選果は女房の担当。分担は自分が決めるけど、一緒に作業することは少ないかな。

 

今後のことはまだよくわからないけど、今うちに手伝いにきてくれてるような若者達に引き継いでいけたらと思ってる。彼らの今後のやる気に期待したいね。