私が農業に携わるようになったのは昭和50年です。
時代はちょうど昭和40年半ばにみかんの大暴落が起こり、それまでみかん農家が多かった小田原の農家に大混乱が生じた時代でした。
そんな中、私は先代から有機農産物を作ることを教わり、農薬に頼らない農業をするには何が大切か。土が大切だ、水が大切だと突き詰めていくと、そこにいる生きものと共存できなければ人間は生きられないということを知りました。
私達はできるだけ自然に近く、作物そのものが健康的で、自信を持って送り出せる農作物を作っていこうと農薬を減らした農業をしてきました。
食料自給率40%であるにもかかわらず食料が余っている状況である現在、生産者だけでなく、食べる人にも日本の農業の大切さについて一緒に考えていただきたいと感じています。
生産者は地域の歴史を守り、人と人をつなげ、地域農業を活性化させながら農業の可能性を追い続けます。
ジョイファーム小田原は、その先陣をきっていくような存在になっていきたいと思います。
代表取締役 鳥居 啓宣
ジョイファーム小田原は、生産者130名程が集まって農産物や農産加工品を販売している会社です。
芸術作品を作るかのような栽培技術を持った生産者。
研ぎ澄ませた職人技を持った生産者。
農業について語り出したら止まらない生産者。
個性あふれる様々な生産者が集まっていますが、こだわりと理念は一緒!
“安心安全なものを皆さんに食べて欲しい”という想いを込めて栽培した農産物を扱っています。
西に箱根の山、南に相模湾、中央に酒匂川、肥沃で水が豊かな足柄平野。
この豊かな自然が小田原の魅力であり、そして小田原の農作物の個性を生み出しています。
小田原でみかんの栽培が始まったのは江戸時代。 明治20年に東海道鉄道が開通したことで商品
化されました。 戦後から昭和40年代初めにかけては全国的なみかんの需要に押され栽培も大規
模になり、 みかんで御殿が建つほど小田原の一大産業となりました。
しかし、昭和40年代半ばからは全国的にみかんの栽培が増えたことで価格の大暴落が起こり、
小田原の農業は大打撃を受けました。みかんだけでは食べていけない! と、みかんに替わる
農作物を模索し、ブルーベリ-、梅、キウイ、晩柑類の栽培を増やしてきました。今では
これらの作物もみかんと並び小田原の農業の主要な位置を占めています。
自然豊かであり、かつ都心から近いこの小田原で農業の果たす役割とは…
私たちが目指す本当に豊かな生活とは…
物の豊かさだけではなく、人と人が互いを思いやり、人間らしい時を過ごし、 自然環境を守り
ながらしっかりと大地に生活をすることが真の豊かさである。 そう私たちは考えます。
そのために、この小田原の農を守り育てることが私たちの使命であると考え、 『新しい農業・
楽しい仲間づくり・人との繋がり』をモットーとしています。
会社名 : 有限会社ジョイファーム小田原
所在地 : 神奈川県小田原市曽我岸531
役員 : 代表取締役 鳥居 啓宣
創立日 : 1993年4月20日
事業内容 : 農産物の販売・加工
資本金 : 3100万円
年商 : 3億円
関連団体 : 農業法人 小田原産直組合
NPO法人 小田原食とみどり
小田原食と緑の交流推進協議会
小田原有機の里づくり協議会