田中康介(たなか こうすけ)


楽しさを作りだすことに関してはピカイチ!

これからも仲間を大切にする農業を続けていきたい。


1970年代、みかんの価格暴落で収入が減り、“なにか始めなくては!”と着手したのがキウイとお茶の栽培なんだよ。キウイは物珍しかったせいか、最初は結構な高値がついたんだよね。キウイがそこそこ採算ベースに乗ってきたので、地域の仲間たちで借金をしてキウイの貯蔵用の冷蔵庫をつくったんだ。だけどそのうち「なんだこのジャガイモみたいな硬いものは~」ということになってしまい、売れ行きが悪くなり値段も暴落。そうなるとやめてしまう人も結構いたけど、借金をして冷蔵庫をつくった関係でやめるにやめられない。その時に辞めなかったのが、今のキウイ生産者の仲間たちなんだ。

そんなときにジョイファームの長谷川社長に勧められて、農薬・除草剤を使わない安心・安全の農作物を手掛けることになった。皆初めての試みなので、仲間たちでしょっちゅう勉強会をし、情報交換はたえずやってきた。石やジャガイモみたいに硬い物ではなく、食べ頃のキウイを消費者に届けるためにはどうしたらいいかを考え、追熟の技術もみんなで一生懸命学んだよ。美味しいものが提供できるようになると、単なる物珍しさで買っていた消費者が、“食べてみて本当に美味しいね”と思って買ってくれるようになったんだよ。

 

有機キウイの栽培は、差別化を図るための戦略としてジョイファームから提案され、「じゃ、みんなでやろう!」ということになった。有機キウイを作っている仲間の技術は半端じゃないよ。プロ意識が高いし、農業で食べていこうという人の集まりだからね。でも残念なことに年を取って、有機認証に必要な膨大な書類が書けなくなっちゃうとアウトなんだよな~。そうやってだんだん有機で作っている仲間が減ってきちゃう。残念だけど、これが現実だね。だから新規就農者はぜひ応援したいんだ。今、久野地域で自分が懇意にしている新規就農者は4人いるかな。


俺って普通の農家の息子とちょっと違うだろ。実はうちは分家なので、親父が本家から土地を分けてもらい、一から農家を始めたんだ。家族皆で頑張るしかないし、もとがないからいろんなことに挑戦して、試行錯誤しながらやってきた。もともと新しい物好きだったし、機械で補えるところは置き換えた方がいいな。。。と先行投資を決める。キウイの選果機をいち早く導入したり、お茶を自分の所で加工できるように工場を建てたり、そんな具合になんとかやってきたってわけさ。俺は親父がなにもないところから頑張ってきているのを見ているから、新規就農の人たちの苦労はなんとなくわかるんだよ。だから「うちにある道具は貸してやるからなんでも使え!」っていつも言ってるんだ。そんなことが言えるなんて、自分に少し余裕がでてきたってことかな。

 

昔はほんと大変だった。繁忙期はまさに“猫の手も借りたい”ほど忙しいんだ。「明日は人手が足りるだろうか?」と毎日頭を悩ませていたんだ。だからそういった忙しい時期にきてくれた人たちとの縁は大切にしたいと思っているし、今ではみんな自分の家族みたいに感じるね。そんなわけでお茶の出荷が終わって、キウイの剪定が終わると一息ついて、皆を誘ってご苦労さん会をするんだ。その他にも夏にはBBQやそうめん流し、冬には餅つきなどのイベントを企画して人を呼ぶのが、今では恒例だね。お正月の餅つきは昔ながらの臼と杵を使うから、40人~50人が集まる大イベントだね。5年前に庭にビザ窯を自作してからは、ピザパーティーが人気かな。地域の子供が沢山集まってくるよ。

自分がここまでやってこられたのは妻と仲間、そしてお手伝いに来てくれる人たちのお陰かな。妻は仕事のパートナーとしては非常に優秀な人だよ。周りの人達にはよく夫婦漫才をみているようだといわれるけどね。だからこれからも妻と仲間と美味しいキウイを作っていくよ。