曽我山のハイキングで多くの人が訪れる「六本松跡」と呼ばれると峠道があります。
「跡」と呼ばれるのは、その昔、この場所には六本の古松が並んでおり、最後の一本は明治の終わりごろに伐採された為で、現在では六本松跡の碑だけが残されています。
峠道は現在舗装され、平塚・二宮方面、下曽我方面、下中(中井)方面に抜けられることもあり、地元で暮らす人々が車で行き交います。
その六本松跡近くにみかん生産者、神尾武徳さんが耕作するみかん畑があります。
畑の中に入るとところどころみかんの木が傾いたり枯れたりしています。
「ここには猿は出ませんが、イノシシがよく出ますね!うちは有機肥料をみかんの木に使いますから、ミミズなどの生きものが豊富になります。その生きものを求めて1段下の土地の雑木林からイノシシが登ってきて掘り返すものだから、崖付近に植わっている木は土が削られて傾いてしまって大変ですよ。」と困り顔の武徳さん。
木が枯れているのは、根が露出するほど掘り返されてしまい、再び土をかけても回復しなかったためです。
雨で延期となっていたみかんの消毒が梅雨明けと同時にはじまり、30度を超える気温の中、3日間連続での防護服を着ての作業は、汗びっしょりになり、体力が奪われます。この日の午後はゆっくりと身体を休めながら摘果の作業を行うと言っていた武徳さん。
意識しないと休みをとるのを忘れてしまうそうです。
農業は好きではなかった
両親はみかん、キウイ、梅、お米を栽培する農家でした。
農業は好きではなかったですね。20代の頃に、関わっても本当に初歩的な「捥(も)ぐ」「運ぶ」だけの環境でしたから。それぐらい当時は農業が嫌だったんですね。
前職は自動車部品メーカーの品質管理の部署にいました。海外にも出張で行きましたね!月2回ほど海外に行っている時期もありましたよ。
1つの国に行くとだいたい1ヶ月近く留まることになるのではじめの1週間目では必要最低限の語学で過ごしますが、2週間経過すると実用的な言葉も喋れるようになりましたね。もうすっかり忘れてしまいましたが(笑)
出張でドイツのハンブルクを訪れた時の話です。ドイツには「ホルスタイン」と呼ばれる牛が飼われている牧場があって、休日に観光がてらに見に行ったんです。その広さといったら日本の牧場の比じゃないんですよ!日本でも北海道とか大きな牧場がありますけれども、規模が何もかも大きい。
ベンツの巨大なトラクターや風車、青い空に映える鮮やかな牧草の緑、新鮮な空気…普段1mmの1000分の1、マイナス、ミクロンの世界で仕事をしていた私の心にはとても沁みて、「ああ、やっぱり農業はいいな!いつか農業をしたい!」と思ったのです。
でも、当時は父が農業の第一線で働いていたので、その「いつか」は定年退職後くらいに考えていて、まさかその5年後に農業の世界に飛び込むとは思っていませんでした。
父はもともと身体が丈夫な方ではなかったのですが、ある時急に病気が重くなり、入院することになってしまったのです。父は亡くなる1週間前から病院のベッドの上で私のために耕作している畑の肥料の散布量の記録などを残してくれました。
しかし農家を継ぐことを避けていた私には、剪定、消毒、何もかも分かりませんでした。その技術を現場で教えてくださったのはジョイファーム小田原の先輩生産者達だったのです。
47才のときにこの農業の世界に飛び込み、そこから就農して13年目になります。
地域の暮らし
今、私は寿獅子舞の保存会の獅子頭を担当させていただいています。(※曽我別所寿獅子舞保存会の寿獅子舞は小田原市の無形民俗文化財です)父も生前は保存会の会員であり、会長もしていました。ジョイファームの下曽我の生産者達も保存会で活躍しています。下曽我地域の人とは良く顔も合わせるし、みんな仲がいいですよ!
その他に梅まつり実行委員であったり、草野球の監督や、少年ソフトボールの役員、農業委員など、常に年間で5~6個の役割を受けもっていたりします。
ただ、農業委員はお話をいただいた時には、農家歴の浅い私に務まるのか不安で、何度かお断りをしたんですが、結局引き受けてしまいました。
夜は常に会合続きで分刻み、まるでタレントのようですね~!(笑)
でもそういった生活はサラリーマン時代で慣れているので苦ではないのです。
特に私は子どもたちと触れ合うことが好きで、NPO法人小田原食とみどりの果樹の学校で、都心の家族がみかん農家の1年間を体験するコースの受け入れ生産者となったり、私の母校でもある千代中学校の子ども達の農業体験の受け入れを行なったりしています。
かわいいんですよ、子どもって。私が作業をはじめる前に説明してもあっちむいたりしちゃってて(笑)全然聞いてないじゃないか!って掛け合いも、子どもならではのかわいさがありますし、皆で作業しているのを見ているといつの間にかリーダーが出来て仕切り始めたり、途中でサボる子もいたり、がんばる子もいて、最後は協力して自分達の力でやりきるのが本当に面白いですね。
綺麗なみかんをお届けするために
うちはお米をたくさん作っているので、みかん畑の中で直射日光が当たる通路にもみがらを撒いているのです。
それは草の抑制も目的ですが、3年後に自然に分解し、肥料にするためでもあります。そして山の土が流れないようにするためでもあるのです。
草が生えるから除草剤を撒こう!じゃなくて、タダで使える万能な天然素材があれば、車で運んでくるだけでいいのですよ。
ところで…年々四季感がなくなっていて、病気の発生など、明らかに農産物の品質が落ちてきていると感じるんですよ。単純に私の技術のせいでしょうか(笑)
外観が悪いと思ったものは正品では出荷できず、加工用にするしかないんです。
え?綺麗すぎる?いやいや、まだまだです。でも、この間も鳥居社長に綺麗すぎると言われましたね…そうなのかな…
(※お話をしながら摘果をする武徳さんの手元にはわずかな葉のスレではねられたみかんが集まります。)
小田原の農業の未来
うちに1人娘がいるんですが、今は就職したばかりなんです。私から農業を継ぐかということを聞いたことはないのですが、継がないんじゃないかと思います。
今は皆、農家の後継者達は仕事を別に持っていますからね…自分がそうでしたから。
この先のことは分かりませんが、娘が結婚したら旦那さんが継ぐ可能性もありますね。
ジョイファームの生産者でも、世代交代をした!って話はなかなか出てこないですから、難しい問題ですよね。
そうなると、自分がこの先、何をつくるか迷うんです。継ぐ人がいないなら、自分が何歳まで生きるかを逆算しなきゃいけないんです。
レモンも今増やそうかなと思っていますが、3年でやっと取れ始めたという量なので、あと何年自分が農家としてやっていけるかを思うと、今後増やすかは決めかねますね。
最近、若手の受け入れもしなくてはと思うようになってきています。
認定農業者として現在1人の若手生産者の面倒をみていますが、新規就農の受け入れは賃金の発生などを含め、受け入れ先に余裕がないと本当に大変だと感じます。でも、最近農家仲間と話していても、小田原の将来を考えてどうにか若手を育てたいと思っている農業者が多いんだなと思っています。
最後に皆さんにお伝えしたいことがあります。
今年のみかんは梅雨の降雨量の影響により、「カンキツそうか病」が発生し、広がりをみせています。生産者達はより良いみかんをお届けできるように夏の摘果に励んでいますので、どうぞ小田原のみかんを宜しくお願い致します。