穂坂和昭(ほさか かずあき)


時代の流れを読み、運をつかみ、夫婦二人三脚での農業

探求心を忘れない 根っからの百姓!


うちは代々農家。でもおじいさんは農業をしながら梅の業者をしていたので兼業農家だった。専業になったのは親父の代からだね。でも親父が体を壊したので、早くから自分がいろいろ考えて妻と一緒にやりくりしてきたんだ。家に入って本格的に農家を始めたのが、ちょうどみかんの全盛期の終盤。それからみかんは衰退の一路だったな。だから「あれを作ってみよう、これにしてみよう。。。」といろいろ試したよ。最終的にどこにながされていくかというと、その時に流行っているものを作り、採算が合わなければやめる。。そんな風に臨機応変にやってきたんだ。ここまでやってこれたのは運が良かったのかな。いろいろ調べたり、研究もしたけどね。今はキウイ、梅、みかん、ブルーベリーを主に作っているよ。

家に入って本格的に農業を引き継いだときは、農作物はとにかく外見勝負。味で勝負して売れる時代じゃなかったな~。でもその後34年たったころ、仲間と直売をはじめて消費者と話をするようになると、安心・安全のものを求めているとわかった。そしてこだわりの品物が欲しいとかいわれたよ。あ!もしかしてここにチャンスがあるかも。。。と感じ、仲間と組織を作って生協とやり始めた。そこからずっと主力は生協・産直なので、こだわっていかないと生き残れないよね。基本的に生産者の顔が見えて、信用してもらえるってことが売り物だからね。  

 

安心・安全なものを作りたい。。。無農薬で作りたいけど、かたやとてもきれいなものが並んでいる。食に対する意識の高い人は一回説明するとその価値を分かってくれるけど、皆に説明する機会があるわけではない。スーパーとの競争だからね。生産者も葛藤があるよ。ま!結局、生産者と消費者が外観と安全のどこで妥協するかだよね。だから自分は今まで消費者との交流などの機会をつかって、できるだけ食の安全について話してきたんだ。

キウイの栽培をはじめてみると、キウイは農薬をかけなくても問題ないということがわかってきた。それまでは農薬一辺倒の栽培だったので、最初はとりあえず農薬を使っていたけど、今考えると何の農薬を使っていたんだろうと思うよ。無農薬でつくると最初は他の畑から虫がこちらの畑によってくるから大変だけど、23年我慢できれば自然サイクルで害虫の天敵が集まってくる。そして少したつと害虫の被害はなくなるんだ。だから有機キウイへの移行も比較的スムーズだったね。


農家はタイミングと工夫次第でいくらでも収益を伸ばせると思うんだ。やる気があって、研究熱心だったら収益は上がる。結局のところは経験しかないけど、やりながら疑問が出てきたら、解決法を見つけての繰り返し。農作業にこれがベストっていうのはないからね。天候は毎年違うし、作業時期や内容が全く同じってことはないし、一生勉強だよ。まあ!自分はもともと農業が好きなんだろうね。あれをやろうこれをやろうと思ったときに、すぐに体が動くんだ。遊んでいる方が疲れるし、根っからの百姓なんだろうね。妻もこんな自分を良く分かってくれているから助かるよ。

これからの小田原の農業を考えると、若い人に頑張ってほしな~。農家をやりたいという若い人にどんどんやらせたらいい。このまま自分の畑は自分が。。。“とか言っていると衰退していく一方だしね。外部の人をいかに入れるかだし、自分はやりたい人に引き継いでいってほしいな。だから周りからは「まだやるの~!」と言われるけど、将来のためにとりあえず新しい苗を植えていくことは続けたい。木が植えてあれば、借りる人もすぐ収穫できる。みかんは売り物になる実がなるまでに10年はかかるからね。その点キウイは伸びが早いし、手作業で機材があまり必要ないから、ぜひ若手の新規就農者に勧めたいね。